労働と読書 ~明治以降の変遷~

先週は読書に関して記載をしましたが、引き続き読書の話題です。

なぜ働いていると本が読めなくなるのか

この本から、現代の読書習慣や読書の効能のようなことを記載しました。

今週は労働と読書に関して、きれいにまとめている資料に巡り合ったのでシェアします。

読書と労働の観点で見ると、

「エリートの教養」から「娯楽へと大衆化」し、現代は「ノイズ」という余計なものになっています。

昔は書籍も限られ、現代のようにバラエティ豊かなジャンルも存在せず、「本=教養」の要素が強かった。

それが、多種多様となり娯楽の一つになったが、テレビやインターネットの普及で徐々に娯楽の存在が薄れ、「ノイズ」へと変化している。

そのような時代背景の中で、自己啓発の手段の変遷の注目すると

明治時代は修業とあるが、情報手段も少なく、その道の専門家も限られた中で、自己啓発する手段も少ない中、まさに修行のようなことが必要であった。

その道のエキスパートは数少なく、今では考えられないくらい尊敬の対象になっていたのではないでしょうか?

そしてバブル期までの「会社研修」は多くの人が納得すると思いますし、今でも会社研修だろうと思っていませんか?

まだ、そのような会社もあると思いますが、現代はセルフラーニングの時代。

自分に必要なものを自分で行う、会社がキャリアを作るのではなく、自分で作るものという流れです。

自己実現をしたいと表に書いてある通りで、キャリアのゴールは出世だけではないです。

そのような現代だからこそ、読書はノイズではなく、自己実現に近づく一つの手段であり、重要な手段だと思います。 

偏った情報ソースではなく、様々な情報ソースを使いこなし、「偶然」得られる情報から、自分の枠を広げてみましょう。

それが人としての器を大きくする、垂直的成長(成人発達理論)につながると思います。